戦前まで続いた浅羽地域の祭りとして「浅羽三社八幡」と呼ばれる梅田八幡宮・八幡(やはた)八幡宮・馬場(ばば)八幡宮の八幡三社と松原王御前(おうごぜん)社が一体となって行われる祭礼は、「浅羽庄」という地域の一体感を認識する絶好の機会として近世に成立したと考えられ、その中心神事が稚児がふんした子供が務める十頭立ての「流鏑馬」神事でした。
*現在は明治の神仏分離期を経て、梅山八幡神社・浅岡八幡神社・柴八幡神社・王御前神社と名称を変えています。
今日では梅山八幡神社において2頭だけで新しい形で流鏑馬を復活し、稚児が務める流鏑馬が特徴である「稚児流鏑馬」として行われています。